BOOKS昭和堂「それ、読みたい!」2006年12月
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2006年12月 コレラの時代の愛(G.ガルシア=マルケス)
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コレラの時代の愛

G.ガルシア=マルケス 木村榮一 訳

新潮社 3000円+税

いま新潮社から「ガルシア=マルケス全小説」の刊行が始まっていて、すでに『わが悲しき娼婦たちの思い出』(もちろん読みました──そうして、読み終わるとすぐにロバートソン・ディヴィスの『五番目の男』をまたしても読まずにいられなくなりまして、これもよい読書になりました)とこの『コレラの時代の愛』が出ています。この二点はともに木村榮一訳。『黄色い雨』(フリオ・リャマサーレス)の訳者でもあります。
さて、およそ五〇〇ページにも及ぶ小説で、タイトルが『コレラの時代の愛』──といって、どんな作品を想像・期待しますか? ……しかし、余計なことは考えず、こんなふうな作品であるはずだなどと決めてかからず、ただただ書かれてあるそのままを楽しんでいってほしいと思います。高級・高尚であるようなイメージでの「名作」やら「世界文学」とか、そういう邪魔な先入観はさっぱりと捨てて読んでみてほしいんですね。いや、ほんとに邪魔な先入観だと思いますよ。もしこれをたくさんのひとがきれいさっぱり捨てられて、無造作にドストエフスキーやトーマス・マンやフォークナーや大西巨人や、このガルシア=マルケスなんかを手に取ることができたら、これまで自分が手軽に気安く、あたりまえに手に取ることのできていた本──月に数十冊も読めてしまう類の本、一度読んだらたくさん、というか、一度すらたくさんという本です──なんかには見向きもせずにいられると思うんですけどね。で、たとえばガルシア=マルケスを読んだからといって、自分が偉くなったような気のするなんてこともなくなってしまった方がいいんです。高尚なものに向き合う自分なんてものを偉そうに考えることからは早く卒業してしまった方がいい。そんなものにとらわれているうちは、まだちゃんとそれに向き合ったことにならないんです。高級・高尚のイメージなんかに遠慮したり、逆にそれを自慢げに思ったりしていてはもったいないです。

そこで、高級・高尚とはかけ離れて見えるはずの引用をしてみますか? しかも、私はこの部分を、読み始めてしばらくして、もしかするとこの後何年かたっても、『コレラの時代の愛』というと、このくだりをすぐに自動的に思い浮かべるようになるかもしれないなと考えたほど気に入ったんです。とはいえ、こんなところを気に入るのは私だけなのかもしれませんけれど。
この部分に出てくるのは、結婚生活三十年ほどの夫婦。

最初は日常的でごくありふれた出来事がきっかけだった。当時、ウルビーノ博士は人の助けを借りずにシャワーを浴びていたが、浴びたあと寝室に戻り、明かりをつけずに服を着はじめた。その時間、彼女はいつも目を閉じて静かに呼吸し、神聖なダンスをするように腕を額の上に載せて、胎児のようにまどろんでいる。いつもそうなのだが、うとうとしているだけで眠ってはいなかったし、夫もそのことに気づいてい た。暗闇の中でがさがさ音を立てて糊のきいたリネンのシャツを着た後、こうつぶやいた。
「この一週間、石鹸を使っていないな」
その言葉で彼女は目を覚ました。バスルームに石鹸を入れておくのを忘れていたことを思い出して、思わずかっとなって八つ当たりしはじめた。彼女自身三日前に石鹸がないことに気がついたが、そのときはシャワーを浴びていたので、あとで入れておこうと考えた。次の日もうっかりして忘れてしまい、三日目も気がつかなかった。しかし、一週間もたってはいなかった。夫があんなことを言うのは、自分に対するあてつけにちがいないが、三日間忘れていたのは弁明のしようがない。その点を衝かれたせいで、思わず頭に血が上った。そしていつものように、相手を攻撃することで自分を守ろうとした。
「私はシャワーを毎日使っていますけれど」と我を忘れて大声で言った。「石鹸はずっとありましたよ」
妻の戦術を知り尽くしてはいたが、あのときはさすがの彼も我慢できなくなった。仕事を口実に、以後ミセリコルディア病院内にあるインターン用の宿舎で寝泊りするようになった。午後の往診に行く前に着替えをするときだけ家に戻った。夫が戻ってくる音が聞こえると、彼女はさも用があるようなふりをして台所へ行き、馬車道のひづめの音が通りから聞こえてくるまでそこから動かなかった。三カ月間、夫妻は気まずくなった関係を修復しようとしたが、何をしても事態は悪くなるばかりだった。
その出来事がきっかけになって、まだ夢から醒め切っていない朝に起こったそれまでの些細なトラブルが次から次へとよみがえってきた。腹立ちがべつ
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